関西散歩 ~梅田エリア・阪急編 その1~

こんにちは。

今回は2年前に1度だけ公開したコーナー、「関西散歩」の続編で
前回の「梅田エリア・JR編」と同じエリアで今回は、「梅田エリア・阪急編」をお届けします。

ではどうぞ。

ターミナルデパートのはじまり

なんといっても梅田の発展を語るうえで欠かせないのが、阪急とその創業者の小林一三です。
現在の阪急電鉄である箕面有馬電気軌道は、1910年に梅田-宝塚間(現宝塚線)に線路を通しました。

この沿線は、阪神電車などが通っていた梅田-神戸間のように栄えてはおらず、当時は人もまばらな農村広がる地域でした。

この状況に小林一三は、”沿線を開発して利用者を創り出す” という現在の私鉄ビジネスモデルを確立します。
阪急百貨店もその一環で開店し、これは世界初の鉄道会社運営の駅直結百貨店とも言われています。

また阪急百貨店で有名なのがソーライスのエピソードです。
開業後まもなくして起こった昭和恐慌の際、安いライスのみを注文して備え付けのウスターソースを掛けるソーライスが流行りました。
店側は利益の少ないライスのみの注文禁止したそうですが、小林一三は
「今は貧乏でも、将来ここで食事をしたことを思い出して家族を連れてきてくれるだろう」
とライスのみの注文を歓迎する広告を出したそうです。

名前の由来

現在の梅田で阪急と名の付く施設と言うと、阪急三番街、阪急17番街、阪急32番街でしょうか。

皆さんは、なぜ○番街という名前なのか?なぜ1から順番ではないのか?と疑問に思ったことはありませんか?
その疑問についてお答えしていきます。

阪急○番街シリーズで一番初めにできたのは、現在の阪神百貨店の場所にあった新阪急八番街です。
ここは新阪急ビルの地下にあったのですが、このビルの当時の住所が「梅田八番地」であったことや八が末広がりで縁起が良いということで、八番街と付けたそうです。
また番街の由来は、今でもブランドショップが並ぶ通りとして有名なニューヨーク5番街にならっているようです。

3番街の川の源流、トレビの泉

阪急三番街は大阪万博の少し前に「川が流れる街」として開業しました。
こちらは今でも川のある地下のショッピング施設として有名ですね。
先程の話から察している方も多いと思いますが、阪急三番街の由来も住所で「小深町3番地」だそうです。

そして阪急17番街と阪急32番街。こちらも住所、かと思いきやこっちはビルの階数が名前の由来だそうです。
それぞれ地上17階建て、地上32階建てのビルに入っています。

阪急32番街

あの施設も阪急の…?

他にも梅田エリアには阪急と付く施設がたくさんあり、その1つがHEPです。
HEPはHEP FIVEとHEP NAVIOからなる、梅田を代表する商業施設です。
これを略さずに言うとHANKYU ENTERTAINMENT PARKとなり、HANKYUと付くことがわかります。
ちなみにマッコウクジラと観覧車で有名な、HEP FIVEのFIVEの由来は改装前の施設「阪急ファイブ」で、そのファイブの由来も「角田町5」と住所から取っているそうです。
HEP NAVIOの方はさすがに住所ではなく、土地の形が三角形なのでポルトガル語で大きな船を意味するNAVIOと付けているとのこと。

正面がHEP FIVE, 奥がHEP NAVIO

他にも、阪急の名前は付きませんがNU茶屋町なんかも阪急が運営する施設のひとつです。

はじめにも書いた通り、梅田の発展には阪急が欠かせないと言えるほど梅田エリアに阪急関連の施設がたくさんあります。
これも、創業者の小林一三が確立した私鉄ビジネスモデルを今まで続けてきた結果なのかなと感じますね。

阪急編の関西散歩ですが、書ききれなかったことも多々あるのでまた次回続きを書ければと思います。